『花婿失踪事件』-「シャーロック・ホームズの冒険」を読んでみた。【全体のあらすじと考察】

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花婿失踪事件(A Case of Identity)

※直訳すると「同一性の事件」。

 

シャーロック・ホームズの冒険」に収録された短編の三作目。

延原訳でいう「花嫁失踪事件(原題:The Adventure of the Noble Bachelor)」ではありません。名前が紛らわしいけれど、そっちはこの話の後ろにある話です。

まずは話の全体のネタバレあらすじをどうぞ。その後ろに感想をまとめました。 

あらすじ

 

亡父の遺産利子や、タイピングの仕事をたよりに特に不自由無く暮らしてきたサザーランド婦人。

彼女は気難しい継父の目を盗んで、ホズマー・エンジェルと逢引し、やがて婚約した。

そして継父のいない間に結婚式を迎え、当日は馬車を別にして式場に向かったサザーランド婦人とエンジェル氏。しかし式場に着いて見てみると、馬車の中からエンジェル氏が忽然と消えていたのである。

当然ながら結婚はできず、以降も彼の消息がつかめないので、婦人はホームズに彼の所在について相談しにやってきた。

 

ホームズは彼女の話を全て聞き終わると、もうエンジェルのことは居なくなったものとして忘れるようにと忠告して家に帰らせる。

その後彼女の継父を呼び出したホームズは、彼こそがホズマー・エンジェルだと糾弾した。

継父は娘が結婚すれば遺産利子を失うというのが我慢ならず、変装して娘の心を他に向けさせないようにと一計を案じたのだ。

このような心を弄ぶ卑劣な行いを罰する法はなかったが、ホームズはやがて彼は今後も重ねるだろう犯罪で結局絞首台送りだろうと予測し、恋で盲目なサザーランド婦人には何も伝えないでおくことを選択した。

 

ホームズの推理

 

私もホームズより分かるのは遅かっただろうけれど、なんとか種明かしまでにトリックを推理することができました。

この事件を整理すると下のようになる。

 

when:いつ事件が起きたか

結婚の直前。彼女は結局結婚できなかった。

エンジェル氏は結婚式の朝に不吉な予言をしていた。よってこの事件はエンジェルもしくはサザーランドの結婚が契機になったといえる。

where:どこで事件が起きたか

結婚式場へと向かう道。

what:何が起きたか

花婿のエンジェル氏が忽然と姿を消し、以来、何の便りもない。

why:なぜ事件が起きたか

・痴情のもつれ:サザーランド婦人はエンジェル氏以外に恋愛関係になったことはなく、またエンジェル氏もそう人に好かれる風体では無さそうだ。よって除外できる。

・金銭目的:サザーランド婦人には亡父の遺産があった。十分に考えられる。

・失踪者が重大な事件に巻き込まれた:死亡したなら新聞に彼の名前が出るはずだ。生きているなら婚約者に自分の無事を伝えようとするだろう。

who:事件で誰が利益を得るか

エンジェル氏が消えることで誰に利益があるかを考える。

結婚すると彼女の家族に渡る遺産利子が無くなるらしい。よってサザーランド婦人の親は彼女を結婚させたくなかったかもしれない。

そして、How:どのようにして事件を起こしたか、がこの事件のミソです。

エンジェル氏の変な性格と格好に、ん?と思うことができれば結構分かりやすいトリックですね。

 

でも、違う方向へも事件の結末を推理できるのではないかと、読み終わってから気づきました。

エンジェル氏の変装じみた風貌や、かたくなに自分の話をしない態度は、彼がとある暴力集団に追われていたからだった……とか。

馬車から忽然と消えたように思えたのも御者がグルだったからで、彼は社会の闇に飲まれてひっそりとその息を絶ったとも考えられなくもない。

 

でも、継娘の男女交際にずっと反対し続けていたはずの父親がエンジェル氏との交際にだけ態度が柔らかくなっていたり、結婚するのにも関わらず最後まで彼らが決して顔を合わせることがなかったという事実は、やっぱり継父が事件に関与していると考えるのに充分ですね。

じゃあ結局、推理は継父の偽装という結論に向かうしかなかったのでしょう。

うーん、改めて事件を自分で追ってみると、あの短い時間で結論にたどり着くホームズはやっぱりさすがだと思い知らされます。

 

でも最後は依頼人に真実を伝えないままなので、たぶん今回はホームズに報酬はないのでしょうね。まあたまにはそんなこともあるさ。

特に経費がかかった訳でもないし、ボヘミア王から金のタバコ入れを貰ってたり、ハロルドの君主からも指輪を贈られてたりするぐらいなので、一個や二個ぐらい無報酬の事件があっても問題ないのでしょう。

 

天然ちゃん、メアリ―・サザーランド

“Do you not find,” he said, “that with your short sight it is a little trying to do so much typewriting?”

“I did at first,” she answered, “but now I know where the letters are without looking.” Then, suddenly realizing the full purport of his words, she gave a violent start and looked up, with fear and astonishment upon her broad, good-humoured face. “You’ve heard about me, Mr. Holmes,” she cried, “else how could you know all that?”

 

「あなたの近眼では、タイプライターの仕事はちょっと大変ではないですかね?」とホームズは言った。

「初めは大変でした。でも今はもうどこにどのキーがあるか覚えましたから……」とそこで彼女はハッと唐突にホームズの言葉の意味に気が付き、怖れと驚きを丸く親しみやすい顔に浮かべて、彼を見上げた。

「あなたは私を知っていたのですか。そうじゃなきゃ、どうして私の事を知っているんでしょう?」

 

今回の依頼人、メアリー・サザーランド嬢はちょっとばかし抜けている女性です。

その様子は彼女との初対面シーン、ホームズに挨拶する場面でも描かれています。

一拍遅れて言われていることに気づく様子から、注意力がそんなに高くないという事が読者に伝わります。

そしてこのサザーランド嬢の注意力がなかったおかげで、彼女の継父は変装をバレないままでいられました。

 

物語の最初から既に伏線は存在していたのですね。

さすがドイル先生、さりげない所にも気を配って描写しているなあと感じます。

 

ワトスン医院の状況 

 

今回の話の描写によると、ワトスンの医院には人がそこそこ入っている模様です。

赤毛組合」では仕事を放って平日の昼間にコンサートに行っちゃってましたが、今回は、

“A professional case of great gravity was engaging my own attention at the time, and the whole of next day I was busy at the bedside of the sufferer.”

――その時は医者の仕事をしないではいられず、次の日はずっと病人の世話で忙しかった(意訳)。

という訳で、ホームズの所にも遅刻してしまうほどだったようです。

たまたま忙しかっただけかも知れませんが、それでももちろん昼間からコンサートに行くよりかはずっと良いでしょう。

 

事実は小説よりも奇なり

 

“…… . Take a pinch of snuff, Doctor, and acknowledge that I have scored over you in your example.”

――嗅ぎたばこをやれよ、ワトスン君。そして僕の理論が君の出した問題に優ったことを認めることだ。

 

ある男の離婚訴訟の記事を見て、どうせ原因は酒かDVとか浮気といったところだろう、と言ったワトスンに、離婚の原因は男が食事が終わる度に妻に入れ歯を投げつけたからだ、とホームズが説明したシーン。

これは『赤毛組合』の中でも触れられた、

 「人間の空想より、事実の方がより奇妙だ」

というホームズの持論を裏付けるものでもあります。

 

実を言うとこの話は時系列的には『赤毛組合』よりも前の事件です。

赤毛組合』の時は、

 「ワトスン、君にいつか小説より現実に起こることのほうがよっぽど奇妙だと教えてやる」

なんてことを言っていて、ついでにその例としてちゃっかりサザーランド嬢の名前がチラッと出てきています。

 

 

ワトスンは「赤毛組合」やこの「花婿失踪事件」でも初めは、

 「新聞に出てくる事件などは単調で下らないし、魅力的な所なんてないじゃないか」

と否定的な様子でしたが、このホームズの証明を聞いた後に彼の意見は変わったのでしょうか?

 

実際にこの事件では、サザーランド婦人の注意力の欠如だけでなく、その近眼のおかげでこの奇怪な犯行が成り立っています。

近眼でなかったなら、

 あれっ、お父さん何やってるの?!

って感じで簡単に変装を見破ってしまいますからね。

(いや、天然系のサザーランド嬢なら気づかないのもありうる……?)

 

これを併せて考えてみるとホームズの言う通り、平凡な日常生活に生まれる偶然の不思議さが感じられると思います。

 

 

 

次回は本当に息子が父親を殺したのか? 『ボスコム谷の惨劇』です。

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