『ぶな屋敷』-「シャーロック・ホームズの冒険」を読んでみた。【全体のあらすじと考察】

f:id:Honnmaru:20190602133606j:plain


ぶな屋敷

(“The Adventure of the Copper Beeches”)

 

シャーロック・ホームズの冒険」に収録された最後の短編。

奇妙な条件を出す、一見優しそうな雇用人の真意とは……というお話です。

それではまず全体のあらすじをどうぞ。ネタバレなのでご注意ください。

感想はその下にまとめてあります。

 

あらすじ


ミスヴァイオレット・ハンターは先日、家庭教師の職を破格の報酬で提示された。

しかし、その雇用条件は彼女の豊かな栗髪を切り、指示した時にはどんな奇妙なことでも従って欲しいというおかしなものだった。
はじめ彼女は自慢の髪を切ることに抵抗感を覚えていたが、とうとう覚悟を決めて仕事を受けることにした。しかしその前に、せめて誰か頼れる先が欲しいとホームズの所にきたのだ。


そしてその二週間後、彼女から相談したいことがあるとの電報で、ホームズとワトスンはウィンチェスターに赴いた。


彼女の話はこのようなものだった。

髪を切ったハンター嬢はルーカッスル氏の屋敷に連れられ、数日経った後に、青い服を着て窓の傍に座っていてほしいと何度か頼まれるようになった。

どういう訳かその服は彼女のために仕立てたかのようにピッタリで、そして以前に誰かが着ていたような跡があった。

窓の傍に座っている間、どうしても気になった彼女がこっそり窓の外を盗み見てみると、道路から見知らぬ男がじっとこちらを見上げていて、ルーカッスル氏に指示されるままに男を追い払う仕草をした。

 

また、彼女に与えられた部屋の中にも奇妙な物が存在した。ハンター嬢の髪とまったく瓜二つの栗毛の髪の束が鍵のかけられた引き出しに入っていたのである。


そして昨日、いつも人気が無く、普段から鍵がかけられている棟へと続く廊下の扉がたまたま開いていた。

好奇心からそこへ入ってみると、厳重に外から錠がかけられた部屋から人の気配がした
彼女がその棟に入ったことを知ったルーカッスル氏は、普段の温和な態度が一変し、二度とこの棟に入らないようにとハンター嬢を脅した。
その彼の変貌ぶりに恐怖した彼女は電報を打ってホームズの助言を求めたのである。


明らかにルーカッスル氏は自分の娘を監禁していると状況からホームズは推理した。

ハンター嬢は娘に成り代わらせるために雇われたのだろう。
丁度ルーカッスル氏は夜に出かける用事があるらしい。その晩、ホームズたちはハンター嬢の案内でその部屋に忍びこんだ。


しかし、そこには誰もいなかった。
ルーカッスルがホームズたちの計略に気づいて事前に娘を連れ去ったかに思われたが、そのすぐ後にルーカッスルが何も知らない様子で部屋に駆け込んできた。

娘の姿がない部屋を見て、ホームズが娘を誘拐したと勘違いしたルーカッスルは、ホームズたちに番犬をけしかけようとした。
しかし番犬はちょうど空腹のために凶暴になっていた。

ルーカッスルは番犬に襲われ、喉に重症を負って瀕死状態に陥る。


事態に戸惑うホームズたちに、使用人の女が全てを話した。

ルーカッスル氏の娘、アリスは前妻の遺産を持っていた。

アリスが婚約者のファウラーと結婚してしまえば、遺産はルーカッスルの手元には残らない。

財産を独占したいルーカッスルは、娘の結婚を妨害する策を考えたのだ
まずルーカッスルはアリスを監禁し、無理やり婚約者のファウラーと引き離した。

そしてルーカッスルは娘に瓜二つなハンター嬢に出会い、彼女にアリスの振りをさせてファウラーを騙そうとした。

もはやアリスにはファウラーへの愛などないと思い込ませることで、彼に結婚を諦めさせようとする策だ。

 

しかしファウラーもめげない男で、事前に賄賂を使って使用人から情報を仕入れると、天窓からアリスを連れ去った。
それがホームズたちが屋敷に訪れるほんの少し前の出来事だったので、アリスがまるで消えたかのようにいなくなっていたのはこれが理由だった。


その後、駆け落ちしたアリスとファウラーは結婚したらしい。

ルーカッスルはなんとか一命を取り留めたものの、後遺症を負った。

ハンター嬢は今は私立学校の校長となり、辣腕を奮っているそうだ。

 

ホームズの推理

 

・娘が結婚すると損をしてしまうルーカッスルには動機が存在する。

・まるで誂えたかのようにハンター嬢にピッタリだった服は状況からしてルーカッスルの娘のものだったと推測される。

・ハンター嬢の髪とよく似た長い髪の束は以前屋敷に居た女性の物だったと考えられる。

・外から鍵がかけられた部屋に人の気配がした事からして、何者かがルーカッスル氏によって監禁されていると分かる。

 

 よって娘のアリスは監禁されており、ハンター嬢はその身代わりとして雇われたと推測される。

 

とはいえ、今回はあまりホームズの推理が活躍しない話。

結局、真相は使用人によって打ち明けられるので、ホームズがこの事件に寄与した割合はあまり多くないかもしれない……。

 

注目すべきポイント

 

この話の面白いところはこのようになります。

 

・最近の依頼に嫌気がさしてきたホームズ

・うまい話には裏がある

・ハンター嬢の機転

 

それでは一つずつ見ていきましょう。

 

イライラするホームズ

 

上げて落とす

 

“To the man who loves art for its own sake,” remarked Sherlock Holmes, tossing aside the advertisement sheet of the Daily Telegraph,

“it is frequently in its least important and lowliest manifestations that the keenest pleasure is to be derived. ……”

 

「芸術を愛する人間にとって――」と、ホームズはデイリー新聞の広告欄を脇に放りながら述べた。「目に見えて明らかなものよりも、ほとんど微かにしか表れないものに強烈に惹かれるのはよくあることなんだ」

 

と、気だるげな様子でいきなり話し始めるホームズ。

思考機械のように思われる彼ですが、意外と芸術を深く愛する側面もあるのです。

もちろんこれはただの前置きなのですが……。

 

“Watson, 〜〜 I am bound to say, occasionally to embellish, you have given prominence not so much to the many causes célèbres and sensational trials 〜〜 but rather to those incidents which may have been trivial in themselves, but which have given room for those faculties of deduction and of logical synthesis 〜〜 .”

 

「ワトスン、君は時々誇張することもあったけれど、派手で大衆向けの事件よりも、それ自体はつまらなくも推理力を試される事件について書いてきてくれたよな」

 

珍しくワトスンを褒めモード。

これにはワトスンもニッコリ……と思いきや、やっぱりワトスンをけなし始める準備運動でした。

 

“you have erred 〜〜 severe reasoning from cause to effect which is really the only notable feature about the thing.”

 

「君は間違いを犯している。脚色をつけるより、原因から結果までの厳格な理論を描くべきだ」

 

なんてことを論じ始めます。

それってつまりホームズの言ってることにもっと注目しろってことか?!

この自己中め!

 

褒めてからけなす。

この会話はホームズの嫌味な性格が覗いていて結構好きなシーンの一つです。

 

心を読む

 

それからここにはもう一つホームズに関する面白い描写があります。

 

“No, it is not selfishness or conceit,” said he, answering, as was his wont, my thoughts rather than my words.”

 

「いいや、これは自己中心でも自惚れでもないよ」彼はいつものように、言葉というよりも私の考えていることに対して答えた。

 

ホームズがワトスンの考えを読み取るシーンは他にもあります。

相手の言いたいことを予測できるのは、頭の回転が早い人間特有です。もちろん、ワトスンとの付き合いが長いというのもあるでしょうが。

 

しかし言いたいことを相手が先に分かってくれるのは楽だけれども、普段の生活の中では「それ自分が言おうと思ったことなのに!」と不満を抱いてしまうかもしれない……。

やっぱりホームズはちょっと自己中だな、と感じると同時に、彼の頭の鋭さを知ることができるシーンです。

 

ここは人生相談所じゃない!

 

“he had emerged in no very sweet temper to lecture me upon my literary shortcomings.”

 

彼はまったくはた迷惑な癇癪を起こして、私の文章の欠点について講釈し始めた。

 

それにしたって、今日はホームズの機嫌が悪い。

いきなり芸術の話から始まったのも、天気が悪いせいというだけでなく、どうにも理由がありそうです。

 

というのも最近ホームズの元にはろくな事件がなく、鉛筆を無くしただとか助言を求める女学生だとかいう依頼のようなものばかりだそう。

平和は良いものですが、頭の運動を求めるホームズにとっては有難くない状況。

 

そして今朝はとうとうこんな手紙まで届きました。

 

“DEAR MR. HOLMES:—I am very anxious to consult you as to whether I should or should not accept a situation which has been offered to me as governess. 〜〜 “VIOLET HUNTER.”

「拝啓、家庭教師のとある案件を受けるべきか受けまいか、どうかあなたの意見を伺いたく存じます。ヴァイオレット・ハンターより」

 

そのぐらい自分で決めろ!

(いや、結果を見ればちゃんと相談しに来てくれたハンター嬢はすごく偉いんだけれども)

 

確かにこんなことが続けばホームズが荒れるのも分かる。八つ当たりされているワトスンが可哀そうだけど……。

それでも依頼人が来た時には愛想よく接するのですから、ホームズは切り替えも早いことが分かります。

 

イカー街の良心、ワトスン

 

それにしても、ホームズの嫌味さに対して、余計にワトスンの優しさが際立っています。

 

“It may turn out to be of more interest than you think. You remember that the affair 〜〜 developed into a serious investigation. It may be so in this case, also.”

「君が考えているより面白いものになるかもしれないよ。前の青い紅玉だって最初こそなんてことなかったのに、最後は重大な事件に発展したじゃないか。今回だってそうなるさ」

 

さっきまであれだけ散々言われたのに、ヤケになっているホームズを気遣っています。

寛容さMAX。

そうじゃなきゃホームズとやっていけないのでしょうね。

 

なんで私にこんなにいい条件が?

 

ある日ハンター嬢に舞い込んできた家庭教師の案件。

それは相場の実に2倍以上の給料でした。

 

しかし現実にもよくあるように、うまい話には裏があります。

ホームズ物語にはうまい話につられて、犯罪に巻き込まれてしまう……というシナリオが多く存在します。

悪人の考えることは今も昔も変わらないということが分かりますね。

 

ハンター嬢の機転

 

さて、ここでうまい話にコロッと騙されないのが彼女の賢い所です。

 

ハンター嬢はもし何かあった時に相談できるように、(彼女には頼れる親戚や知り合いがいないので)ホームズたちを後見人として頼みました。

 

そして窓の外を盗み見るために鏡を使ったり、ちょっとした小芝居を打ってみたり……と、かなり器用な女性です。

 

“She was plainly but neatly dressed, with a bright, quick face, freckled like a plover’s egg, and with the brisk manner of a woman who has had her own way to make in the world.”

「彼女は質素だがキッチリした服装をし、顔は理知的で、ウズラの卵のようにソバカスばかりだった。その立ち振る舞いは、独力で世間を渡り歩く、自立した女性そのものだった」

 

というのはワトスンが最初にハンター嬢を見た時の印象ですが、正しくその通りに彼女は機転を利かせて試練を乗り越えていきました。

 

大きなお世話

 

ところで、こんな賢い女性を見ると思わず『あの女性』を思い出してしまいますね。

そう、『ボヘミアの醜聞』に登場したアイリーン・アドラー」です。

 

アイリーン・アドラーはかなりやり手で、一度ホームズを打ち負かしたことのある女性です。

その為、ホームズはアドラーに対して特別な感情を抱いているとされています。(恋愛感情というより尊敬だそうですが)

 

ハンター嬢もまたとても賢い上に、独身。

なので、ホームズがハンター嬢にも心を惹かれたりするんじゃないかと、ワトスンは思わず期待してしまったようです

しかし、事件が終わったとたんホームズのハンター嬢に対する興味はゼロに。やっぱり一筋縄ではいきません。

 

映像化された『ぶな屋敷』

 

グラナダで制作されたドラマ版の『ぶな屋敷』について少し紹介しましょう。

 

ドラマ版では、アリスの婚約者であるファウラー氏が夜中にこっそり屋敷に忍び込もうとしたところで番犬に追われ、逃げ出しているシーンから始まるのが特徴的です。

といっても、原作とはそれほど差がある訳ではなく、この話でいくつか説明不足であった点を補足している程度です。

 

例えば、番犬に二日も餌が与えられていなかった点です。

凶暴な番犬を世話できるのはトラーという使用人しかいなかったのですが、そのトラーの妻がファウラーに賄賂を積まれていました

賄賂を積まれた彼女は番犬を無力化させるために、トラーに酒をよく呑むように勧めていたのです。

それで、酒に呑んだくれたトラーは番犬に餌を与えるのをすっかり忘れてしまっていたのでした。

 

その他にも、ホームズがハンター嬢の髪をモフモフしているシーンなど色々面白い描写があったりするのですが、まあ長くなるので程々にしておきましょう。