『技師の親指』-「シャーロック・ホームズの冒険」を読んでみた。【全体のあらすじと考察】

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技師の親指(The Adventure of the Engineer’s Thumb)

 

単行本『シャーロック・ホームズの冒頭』に収録された短編。

報酬に釣られて受注した点検の仕事。しかしその依頼人は妙に怪しくて……。

という話です。

それでは全体のあらすじをまずはどうぞ。ネタバレなのでご注意ください。

感想についてはその下にまとめてあります。

 

あらすじ


ワトスンの医院に水力技師の男が切断された親指の治療にやってきた。

技師の話に関心を持ったワトスンは彼をホームズの所に連れていって経緯を話すように頼んだが、それは聞くも異様な話だった。


ついこの間彼はドイツ人の軍人から極秘の点検の仕事を依頼され、破格の値段に目が眩んで思わず承諾してしまった。

そして約束の日、指定された駅で降りると、技師はそこで待ち受けていた馬車に目隠しされたまましばらく乗って屋敷まで連行される。

客間に案内された後、そこに軍人の目を盗んで異国の女が現れた。

すぐに帰って、と彼女は必死に言ったが、技師はその忠告を取り合わなかった。

そのあと技師は現場に連れられて点検を行うが、やがてその機構が依頼の話と異なる用途のためのものであることに気づいてしまう。

そのとたん軍人は態度が豹変し、機械の中に技師を閉じ込めて殺そうとした。

技師は異国の女の助けで辛うじて逃げ出したものの、逃げる途中に親指を切り落とされてしまい、屋敷の庭の中で気を失ってしまった。

 しかし目が覚めると、そこは屋敷の庭ではなかった。

あたりは朝の光が差し込みかけていて、そう遠くない所に昨晩降りたあの駅が見えていた。そして列車でロンドンまで帰ってきた彼は、治療のためにワトスンの医院を訪ねたのだ。


これを聞いたホームズはブラッドストリート警部も連れて現場の屋敷まで向かう。

実はこの異国の人間たちは贋金作りで長年警察の手を逃れ続けている犯罪グループだったのだ。

しかし着いてみると、屋敷は技師が逃げる時に落としたランプによって火災が発生していた。

庭に残った痕跡から技師を駅の近くまで運んでやったのは異国の女と彼女の協力者だったことが分かったが、とはいえその異国の無法人たちの姿はもう何処にもなく、ホームズの頭脳をもってさえ見つけることは叶わなかったのだった。

 

気分は怪奇小説

 

冒頭でもワトスンが言っている通り、推理要素が少ない話です。

ポゥの怪異小説のような雰囲気が全体の印象にあります。

 

その中でも印象に残っているのが、軍人に機械の中に閉じ込められるシーン。

迫り来る天井!

でもその時彼が思ったのは、どうやったら苦しまずに死ねるかということでした。

死が目前に迫っている状態で、ヒステリックになるよりむしろ一周回って冷静に死に方を考えている様子は生々しさを感じさせます。

そして病院に着いてようやく安心できると、それまでの感情が爆発して精神的な発作を起こしてしまうというのもありがちそうです。

安直にヒステリーばかり起こさせるより、こうして一見平静な思考をしているところを描いています。

それがむしろ場面の不気味さや恐ろしさを際立たせているのは、さすが巨匠ドイルの筆致です。

 

ワトスンの結婚の謎、またしても


この話の冒頭に「これが起きたのは私がまだ結婚したばかりの頃で……」というワトスンの描写がありますが、この事件は1889年に起きたことだとされています。

そして前々作の『オレンジの種五つ』は1887年のことです。その時点でもワトスンは結婚していました。

メアリと結婚した『四つの署名』は1888年の説が有力ではありますが、『オレンジの種五つ』を考えるとここで「結婚したばかりのころ」と言うには少し言い過ぎなのではないのでしょうか。

あれれー?

もしワトスンが1887年にすでに結婚していたなら、その二年後の1889年に「まだ結婚したばかりなんだよね、僕たち!」なんて言うのはちょっぴりおかしな話です。

あるいはもし1888年に結婚したという説が合っているとするならば、その一年前の1887年にワトスンがもう結婚していたというのも妙だし……。

 

そうしてファンの間で「ワトスンは数年の間で再婚を繰り返しちゃってた説」が浮上するのだった……。

 

でも結婚した年数が長いのだったら、結婚して一、二年ぐらいのころはまだ結婚したばかりだと後からなら言えるかも知れませんからね!

(後の『空き家の冒険』という作品によると結局メアリとの結婚は十年も続かなかったらしいのだがそれはおいといて)

 

馬車はどこへ向かった?


“I say it is south, for the country is more deserted there.”
“And I say east,” said my patient.
“I am for west,” remarked the plain-clothes man. “There are several quiet little villages up there.”
“And I am for north,” said I,”

ブラッドストリート「南でしょう。あっちはもっと人が少ないから」

技師「私は東かと」

私服警官「西の方が小さな村が沢山ありますよ」

ワトスン「私は北だ」

 

ホームズ「どれも違う」

みんな「そんな馬鹿な!」

ホームズ「中央だよ」

みんな「な、ナンダッテー!」


駅から出た馬車がどの方向へ向かって屋敷に着いたか、というトリックは応用が効きやすいのでミステリに限らず多くの作品に用いられているようです。

遠くに移動していると見せかけて実は最終的に元の場所に戻るように移動していた……。

現代では誘拐が出てくる物語などに使われるトリックですが、こんな昔の作品で使われているところを見るのはむしろ新鮮です。乗り物さえあればできる仕掛けですから、それが現代では車、昔では馬車という事なのでしょう。

 

そしてみんな見事に引っかかって見当違いな方向に推理しますが、ホームズだけは正しいところを指してちょっと誇らしげ。

このホームズの推理の根拠は

「本当に遠くから来たなら、馬が一頭だけなのにそいつが元気なまま駅まで来れているはずがないから」

ということです。

 

“…… , and away we went as fast as the horse could go.”
“One horse?” interjected Holmes.
“Yes, only one. …… It was a chestnut. …… fresh and glossy.”
――「…… , それから私たちは馬を駆ってできるだけ速く移動しました」

「馬は一頭でしたか?」ホームズが話に割り込んだ。

「ええ、一頭だけです。栗毛の元気で見栄えのするやつでした」

 

依頼人“the hose”と言ったのを、ホームズは気にしてわざわざ「一頭ですか?」と確認しています。

ここでもう既に「屋敷は駅のすぐ側にあった可能性」を考えていたのだとしたら、先見性の高さに感服です。

というかそもそも普通の人ならその時点で馬の数なんて些細なことだと感じて、思考にさえ入れないのじゃないかと思えます。

凄いなあ、と思うけれどそんなホームズの先見性も及ばない出来事が起きてしまいました。

さすがに落としたランプで火事になっているとは考えつかなかったようですね。

 

暴力沙汰が起こった時のために着いてきてもらったのだろうブラッドストリート警部と私服警官たちも、結局は無駄足になってしまいました。

彼らには方角の「南」と「西」を埋めるおバカ要員として、ホームズサンスゴイナーの道具に使われる役割しかなかったのでした……。ホームズサンスゴイナー。

 

 

 

次回は結婚式の後に花嫁が消えた?!『花嫁失踪事件』です。

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