『銀星号の失踪』ー「シャーロック・ホームズの思い出」を読んでみた【全体のあらすじと考察】

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銀星号の失踪(Silver Blaze)

または『白銀号の失踪』『白銀号事件』など

 

単行本『シャーロック・ホームズの思い出』に収録された最初の短編。

人気馬が失踪し、その調教師は殺害されていた……一体馬は何処に?犯人は誰?

というストーリーです。

それでは大まかなあらすじを紹介します。ネタバレなのでご注意ください。

感想・解説はその下にまとめてあります。

 

あらすじ


ロンドンはある一つの事件の話題で持ち切りだった。

キングスパイランド生まれの名馬、シルバーブレイズが失踪し、その調教師のジョン・ストレイカーは荒地の真ん中で額を殴打されて死んでいたのである。


ルバーブレイズは次の競馬の一番の目玉であり、この馬には多額の賭け金がかかっていたため、普段から厳重な注意が払われているはずであった。


警察は事件の晩に厩舎に近づき、怪しい素振りをしていた数寄屋のシンプソンという男を逮捕していたが、犯行を裏づける決定的な証拠は出てこないままだった。

 

ホームズは警察の要請を受けて、この事件の調査に乗り出す。


やがて調査を終えたホームズは馬の居場所を突き止めた。

近隣の住人が荒野でさまよっているシルバーブレイズを発見し、欲にくらんでその馬の見た目を変えて保護(監禁)していたのだ。

それを明らかにすると、なんとホームズは調教師を殺した犯人を見つけないまま、さっさとロンドンに帰ってしまった。


その数日後、ウィンチェスター杯が開催された。

ルバーブレイズは見事な走りをみせて、1位を取った。

そのレースの後、ホームズは調教師を殺した犯人は紛れもなくこのシルバーブレイズであると明かした。

 

事件の真相とはこういうものである。
調教師は金に困っていたので、シルバーブレイズの対抗馬に賭けて大金を得ようと画策した。

計略を実行させた彼はまんまと馬を荒野に連れ出し、その足に傷をつけて走れなくさせようとした。

しかし、とっさの本能で、馬は調教師の額をしたたかに蹴り飛ばしたのだ。

 

ホームズの推理

 

この『銀星号の失踪』はミステリ界隈でもよく引き合いに出される有名な話です。

トリックは秀逸で、ストーリー自体にもエンターテイメント性があり、私の好きな作品の一つでもあります。

 

さて、今回のホームズの推理は以下でした。

 

・あの有名なシルバーブレイズが数日もの間隠れ続けることはできない。

・足跡から馬の行先を突き止め、馬の誘拐犯の心境を言い当てる

・ストレイカーの服のポケットに他人のレシートが入っていたのは、彼が名前を変えて二重生活を送っていたからだ。

・「犬はその晩何もしなかった」のはおかしい。

・現場にストレイカー以外人間がいなかったのなら、馬が犯人。

 

これらはなかなか面白い問題なので、後でもう一度紹介します。

 

この話のおもしろポイント

 

『銀星号の失踪』の見所について解説します。

 

・大胆な推理

・ホームズのイタズラ?心

 

一つ一つ見ていきましょう。

 

ホームズの大胆な推理

 

あの有名なシルバーブレイズが数日もの間隠れ続けることはできない

 

この推理は後に間違いであると分かります。

警察から協力して欲しいとの要請を受けてから、二日たってもシルバーブレイズが見つかったという報告がなかったため、ホームズは自分の予測が間違っていたと認めて、キングスパイランドへ足を運ぶこととなったのでした。

 

珍しいホームズの間違いの一つです。

しかしホームズの最も優れている性質の一つは、自分の間違いを認めて直ぐに行動を修正できる点です。

 

ホームズは度々誤った推理をすることもありますが、『二つの顔』でも発言しているように、間違ってもそれを正すことができるように常に自分を律しています。

自分に自信がある人は間違いを認められないものですが、彼はそうではありません。

ホームズは間違いを間違いと認める謙虚さがありながら、自分の推理に高いプライドを持っています。

ほとんど矛盾している性質を共存させているからこそ、ホームズはこれまでの事件を解決に導いてきているのでしょう。

 

あるいは、自分の推理が合っているというプライド以上に、事件を解決させることが重要だと捉えているのかもしれません。

 

足跡から馬の行先を突き止め、馬の誘拐犯の心境を言い当てる

 

ホームズにとって足跡は沢山のことを語ります。

今回もその足跡が大活躍しました。

とはいえ、その時の心境まで分かってしまうのは流石に凄すぎる。

恐らく実際に会話して受けた印象とも合わせて、彼の人物像を推し量ったことで、誘拐犯の行動の全てを言い当てる事ができたのではないでしょうか。

 

ともかく、ホームズはここで誘拐犯とストレイカーを殺した人間は同一人物ではないことについて確信を得ることができました。

 

「犬はその晩何もしなかった」

 

この推理がこの話の一番面白い所です。

 

犯行が起きた晩は静かで、厩舎にいた二人の馬丁はぐっすり眠り込んでいた。

 

これを聞いてすぐにここに隠された意味を理解できる人間がいるとは思えません。

ホームズもその日の夕食のカレーが阿片の味を消していたことから、馬誘拐は内部の人間による犯行だと気づいた後に、この意味を理解しました。

 

犬はその晩にやって来たのがよく知っていた人間だったから、吠えなかったのです。

だから、馬丁の二人は何も聞かないまま眠っていました。

 

普通の人間なら見逃してしまう小さな違和感ですが、ホームズは上手くそれを捉えることができました。

 

「これが起こったのはおかしい!」なら誰でも簡単に分かりますが、起こらなかったという事それ自体に違和感を持つのは卓抜した注意力が必要になります。

こうした側面の考え方は犯罪捜査だけではなく、ビジネスや研究活動でも応用することはできそうですよね。

ホームズは探偵であると同時に、研究者でもあります。

注意力と思考力を常に鍛えているからこその、この推理なのでしょう。

ホームズのこの推理を聞いて以来、私も「起こってしかるべきことが起こらなかったのではないだろうか?」という視点を持とうと心がけるようになりました。

 

現場に人間がいないのなら、馬が犯人

 

まったくもってビックリな結末。

まさか馬が犯人だとはにわかには信じ難くもあります。

 

"When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth."

 

「全ての不可能を消して、その残ったものがどんなに有り得ないと思えても、それが真実だ」(『金縁の鼻眼鏡』)

 

 とはホームズの名言ですが、この事件にも適用されています。

 

まあ確かに犯行現場に調教師以外人間がいなかったなら、そこに残った生き物といえば馬しかいませんからね……。

まさか幽霊が調教師を殺したとは考えられませんから、どんなに有り得なさそうに思えても、馬が犯人という答えが残るのでしょう。

 

なお、動物が犯人というトリックが一番初めに使われたのは、エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』でした。

ホームズシリーズの作者であるドイルは、ポーの描いた探偵小説に感銘を受けて、ホームズというキャラクターを作ったのです。

なので、ドイルは『モルグ街の殺人』を思い出しながらこの話を書いていたのかも知れませんね。

 

列車の速度計算

 

事件に関係のない推理ですが、これもある意味興味深いのでちょっとだけコメントします。

 

“We are going well," said he, looking out the window and glancing at his watch. "Our rate at present is fifty-three and a half miles an hour."

"I have not observed the quarter-mile posts," said I.

"Nor have I. But the telegraph posts upon this line are sixty yards apart, and the calculation is a simple one.”

 

「我々は順調に進んでいるな。時速五十三・五マイルの調子だ」ホームズは窓の外と時計を見比べながら言った。

「四分の一マイルの標識は見えなかったんだが」

「僕も見なかった。でも電信柱は六十ヤードごとに並んでいる。計算は簡単だ」

 

ほんのちょっとした所なんですが、ホームズの観察力がキラリと光るワンシーンです。

ホームズの説明を聞いたら誰でも、「それなら自分にでもできる」なんて思えるでしょう。

しかしほとんどの人は電信柱があるかないかなんて気にしませんし、それで時速を計算しようなんて(たぶん)思いません。

 

茶目っ気?ホームズ

 

謙虚と自惚れ

 

本題に入る前に、『シャーロック・ホームズの冒険』よりホームズのセリフを抜粋します。

 

“〜〜 since you are interested in these little problems, and since you are good enough to chronicle one or two of my trifling experiences,”

――「これらのちょっとした事件に興味を抱いて、有難くも僕の些細な経験を一つ二つ伝記にしてくれたので、」(『ボヘミアの醜聞』)

 

“〜〜 somewhat to embellish so many of my own little ADVENTUREs.”

――「僕のちょっとした冒険をほんのばかし面白おかしくしてくれたよな」(『赤毛連盟』)

 

“I cannot confide it even to you, who have been good enough to chronicle one or two of my little problems.”

――「僕のちょっとした事件の一つ二つを記してくれた君にさえ他言はできない」(『花婿失踪事件』)

 

“〜〜 that in these little records of our cases which you have been good enough to draw up, ”

――「君が上手く書き上げてくれた、僕たちのちょっとした事件の記録」(『ぶな屋敷』)

 

“The small matter in which I endeavoured to help the King of Bohemia, ”

――「ボヘミア王に関する小さな事件」(『ぶな屋敷』)

 

お気づきになった通り、ホームズは「little」という言葉を自分が携わった事件についてつけがちです。

しかし、どう考えてもホームズが関わった事件が「小さい」ものばかりだったとは思えません。(ボヘミア王の依頼なんかは特に!)

なので、これはホームズの謙虚さの現れなのでしょう。

 

しかしホームズは謙虚に自分を表す一方で、非常にプライドが高く、自惚れ屋な一面もあります。

そして自分を馬鹿にしてくるような人間には仕返ししてやることも。

といってもそんなに酷いことをする訳でもなく(犯罪者除く)、終わった後に笑い話になるような類ですが。

 

例えば、『四つの署名』にて。ホームズは船乗りの男に変装して、ワトスンと警部を見事にだまくらかしました。

こういうちょっとしたイタズラが結構好きなんですね。

思考機械とよく表現されるホームズですが、このような所を知ると非常に人間的であると感じます。

 

銀星号の疾走

 

さて、諸悪の根源はロス大佐のちょっとした失態でした。

 

“Colonel Ross, who had shown some signs of impatience at my companion's quiet and systematic method of work, glanced at his watch.”

 

ロス大佐は、ホームズの静かで順序立った仕事のやり口に苛立った様子で、時計をチラッと見た。

 

ホームズが殺害現場である窪地を調べていた時のシーンです。

この時ワトスンが気づいたのはこれだけでしたが、観察力の鋭いホームズはこれより前の場面でも、もっと大佐の感情を読み取っていたのでしょう。

 

“I don't know whether you observed it, Watson, but the Colonel's manner has been just a trifle cavalier to me. I am inclined now to have a little amusement at his expense. Say nothing to him about the horse.”

“Certainly not without your permission.”

 

「君が気づいたかどうかは分からないけどさ、ワトスン、しかし大佐の態度はちょっとばかし横柄だったぜ。仕返しに彼をほんの少し驚かせてやろうかな。馬のことについて、何も教えるなよ」

「君の許しがない限り、決して話さないよ」

 

馬の居場所を突き止めたホームズは横柄な態度の大佐にイタズラを仕掛けることを思いつきます。

ワトスンもそれに二つ返事。

とはいえそこまでしなくてもいいんじゃないの……とこの時点ではそう感じるのですが。

しかしこの後、ロス大佐の本性(?)が現れます。

 

“My friend and I return to town by the night-express," said Holmes. 〜〜

The Inspector opened his eyes, and the Colonel's lip curled in a sneer.”

 

「僕とワトスンは夜行列車でロンドンに帰ります」

警部は目を見開き、大佐の唇は嘲りに歪んだ。

 

調査から戻ったホームズが開口一番に衝撃の一言、「もう帰ります」。

まだ馬も犯人も見つかっていないのに!

と、ここで大佐が「やはりコイツには無理だったか」と言わんばかりの表情を見せます。

そして次の引用は長くなりますが、どうしてもコメントしておきたいポイントなので、しっかり全て載せます。

 

“I must say that I am rather disappointed in our London consultant," said Colonel Ross, bluntly, as my friend left the room. "I do not see that we are any further than when he came."

"At least you have his assurance that your horse will run," said I.

"Yes, I have his assurance," said the Colonel, with a shrug of his shoulders. "I should prefer to have the horse."

I was about to make some reply in defence of my friend when he entered the room again.”

 

「ロンドンの探偵には失望したと言わざるをえんな。彼が来てから何の進捗もないようじゃないか」

ホームズが部屋を出た後、ロス大佐は無遠慮に言った。

「少なくとも、馬は大会に出場できると彼が保証してくれたでしょう」と私は言った。

「そうだな、彼の保証はある」と大佐は肩を竦めた。「しかしそれより馬のほうが良かった」

私はホームズを弁護しようとしかけたが、ちょうどその時彼が部屋に戻ってきた。

 

ロス大佐はあけすけにホームズの能力について批判します。

馬を見つけてくれなかったんだから、当然の抗議に思えますが、まあ確かに横柄だと言えなくもない。

 

そして、ワトスン。危ない危ない。

友情に厚い彼のことですから、言い返そうとするあまりうっかり馬のことをポロッと漏らしかねません。

そこにちょうど良く現れたホームズ。

これは偶然なのか?と疑うのは邪推しすぎですかね。

ひょっとしたらドアの向こうから会話が漏れ聞こえていて、「それ以上はいけないよ、ワトスン!」てな感じで部屋に入ってきたのかも知れません。

 

馬はどこ!?

 

そして運命の日。

ルバーブレイズが出馬する大会が開催されました。

ロス大佐は始め自分の馬がどこにいるのか分かりませんでしたが、シルバーブレイズの特徴を隠していた染料が洗い落とされることで、馬と再会することが叶いました。

そして馬が見つかった後は当然、犯人は誰かという話になります。

ホームズは「今ここにいますよ」と言いました。

「まさか私のことを言っているのか!」と驚くロス大佐にホームズは笑って「いえいえ、馬ですよ」

 

ホームズは本当に人をからかうのが好きですね。

(ロス大佐が犯人だと指摘されたと思いこんだのは、文脈からしてただの勘違いのようにも見えますが)

ロス大佐は大会の日までシルバーブレイズがどこにいるのかと思ってずっとソワソワしていたはずです。

そしてようやくシルバーブレイズを見つけた瞬間には、どっと安心したことでしょう。

以前の『ぶな屋敷』の感想の中でも言ったかもしれませんが、ホームズは「上げてから落とす」のも「落としてから上げる」のも好きみたいです。

褒められたかと思ったら貶してくるし、不安にさせてきたかと思ったら思いもがけない方法で喜ばせてくる。

 

先程「ホームズは人をからかうの好き」と言いましたが、それはちょっと語弊があったかも知れません。

からかうと言うと「人を弄ぶ」ような印象がありますが、ホームズはそれとは少しズレているように思います。

ホームズはエンターテイナーのような気質があって、何かとドラマチックに物事を進めたがる所があるのです。

ロス大佐にしたような「落としてから上げる」のは、ホームズのそのドラマチックな演出の一つだったのではないでしょうか。

 

とはいえ、「上げてから落とす」は「人を弄ぶ」の中に入るように思われますが……。