『まだらの紐』-「シャーロック・ホームズの冒険」を読んでみた。【全体のあらすじと考察】
まだらの紐(The Adventure of the Speckled Band)
単行本『シャーロック・ホームズの冒険』に収録された短編の一つ。
双子の姉妹は乱暴な継父に怯えながら暮らしていたが、姉が結婚の直前のある晩、奇妙な遺言を遺して死んでしまい……。
というストーリー。
まず全体のあらすじからどうぞ。読んだ感想や考察は下にまとめています。
あらすじ
1883年4月の早朝、ホームズに起されたワトスンはヘレン・ストーナーという若い女性の依頼人の来訪を知らされる。
彼女の姉は2年前「まだらの紐」という言葉を遺して謎の死を遂げたのだが、ヘレンも死んだ頃の姉と同じく結婚を間近に控えるようになったらしい。
そして、たまたま屋敷の工事で姉のものだった寝室を使う事になった昨日の晩、姉が死ぬ直前の会話で言っていた、姉にのみ聞こえていたという奇妙な口笛を耳にした。恐怖に怯えた彼女は、朝が明けてすぐホームズの所へ相談に来たのだった。
屋敷に調査に行くことを約束して一旦彼女を帰したホームズだったが、程なくしてヘレンを尾行してきた彼女の継父がこの件に関わらないよう散々脅しにやってきた。
その午後継父がいない隙をついて屋敷を捜査したホームズたちは、継父も寝室に入った夜11時に改めて屋敷に忍び込み、死んだ姉の部屋で事が起こるのを息を潜めて待つ。
やがて奇妙な音が聞こえた途端ホームズが鋭く何かを叩いたかと思うと、隣の部屋から世にも恐ろしい悲鳴が轟いた。
そして隣りの部屋へ入ったホームズたちは、毒蛇に殺された継父を発見する。
彼は亡妻の遺産が娘の結婚で分割されるのを疎んで、まるで「まだらの紐」のような毒蛇を口笛で操って眠っている姉を殺し、同様の手段でヘレンさえも殺そうとしたのだ。
しかし因果応報、ホームズに部屋から追い出された毒蛇は継父を噛み殺してしまった。
巧妙に展開が動く!
ホームズシリーズの代表作の一つ。私もかなり好きです。
依頼人の姉妹の奇妙な死、分かりやすく悪人ぽい乱暴な継父、異形が跋扈する陰鬱な屋敷、暗闇の緊張感、そして衝撃の犯行方法。
サスペンスがぎゅっと詰まってます。
とくに屋敷に忍び込むシーンが真に迫っていますね。
“Holmes was for the moment as startled as I.”
――その一瞬、ホームズは私と同様に驚いているようだった。
屋敷に忍び込む途中で、ヒヒが月明かりの中の庭を横切ったシーン。異形の動物の不気味な描写が素晴らしくて、緊迫感を演出させています。
普段から感情を抑えて泰然自若としているホームズが本当に驚いていることで、余計にこの動物の不気味さが伝わってきます。
原作ならではの伏線
そういえばこの作品には翻訳版では(おそらく)分からないだろう、ちょっとした伏線があったりします。
- ヘレナの話を聞き終わった後のシーンにて
「この事件についてどう考える?」と聞くと、ワトスンは
「僕には全く先が見えなくて(dark)、奇妙(sinister)な事件だと思えるね」
と言ったのを聞いてホームズが言った一言。
“Dark enough and sinister enough.”
- 屋敷に潜入する前の、ホームズの推理が披露されるシーンにて
「そうか、たった今僕たちは邪悪(subtle)で、恐ろしい(horrible)犯罪を阻止しようとしているのか」
とワトスンが言うと、ホームズはこう言います。
“Subtle enough and horrible enough.”
というように、ホームズはこの作品中で" ...... enough and ...... enough."という表現を2回使います。
しかし、使われるシーンは全くと言っていいほど異なっていることに気が付いたでしょうか?
1回目に使った時は、ワトスンはまったく事件の全容をつかめていませんでした。
そして、2回目に使った時は事件の概観を掴むことができています。
ワトスンの考えというのは読者の思考と連動していると言えますから、読者もワトスンが分からない時には分からないでいて、ワトスンが分かった時に分かるようになっているでしょう。
1回目はほとんど何も分からない状況、2回目は大体のことは分かった状況。
この鮮やかな対比はこの作品をきっちり引き締まった印象にさせています。
さらにこれを屋敷に潜入するという劇的なシーンの前に置いていることで、よりストーリーをまとめることができています。
ここにあることで、読者に「分からない→わかった」の流れがより見えやすくなるからです。
というのは、実をいうと私の意見でしかないのですが。
でもこれをドイル先生が意識して書いたのじゃなくても、「ホームズってばまた同じ表現を使ったな」とクスッとできる伏線です。
ふんぬっ!
ヘレンの継父のドクター・ロイロットは、インド帰り、人好きのしなさそうな顔だち、筋骨隆々の大男です。
ヘレンの後をつけてきて、ホームズの下宿に押し入って喧嘩を吹っかけました。
「おれの問題に手を出してみろ、こうなるぞ!」
と暖炉の火かき棒をくぐっと曲げて、サッサと出ていきます。
そこでホームズが一言。
“I am not quite so bulky, but if he had remained I might have shown him that my grip was not much more feeble than his own.” As he spoke he picked up the steel poker and, with a sudden effort, straightened it out again.”
――「僕はそんな馬鹿みたいにでかくはないが、もしヤツがまだ部屋に残ってたら、僕の筋肉もあのくらい脆弱じゃないって見せてやれたんだがな」と言いながら、ホームズは火かき棒を手に取ると一気に力をこめて真っ直ぐにした。
ロイロットの怪力もさるものですが、ホームズは細い体なのによくこんなに力があるものですね。
そして、“quite so bulky(馬鹿みたいにでかい)”とか、“much more feeble(よっぽど脆弱)”という表現をつかっているあたり、態度の悪いロイロットに対して、ホームズもちょっとイラッときているようです。
まあ流石にこうやっていきなり乱入されてきたらそう感じるでしょうね。
通常なら客が来たときは大家のハドスン婦人が名刺を取り次いでくれたり、来たことをまずお知らせしてくれたりするのですが、彼はノックもなしでした。
“You are Holmes, the meddler.”
My friend smiled.
“Holmes, the busybody!”
His smile broadened.
“Holmes, the Scotland Yard Jack-in-office!”
Holmes chuckled heartily. “Your conversation is most entertaining,” said he. “When you go out close the door, for there is a decided draught.”
――「お前がホームズか、あのやたらと嘴を突っ込みたがる」ホームズはニッコリと笑った。
「このやかまし屋が!」ホームズの笑みが深くなった。
「警察の犬っころめ!」ホームズは愉快げに笑った。
「ふふ、あなたの話は実に面白いな。部屋を出る時は扉を閉めろよ。ここはすきま風が入るから」
罵倒されてもニコニコしているホームズ。
冷静にロイロットを受け流している様子が見られます。
「あなたの話は面白い」と言った後に「部屋を出る時は〜」と言うのは脈絡がないようにも思えますが、これはどう考えても「さっさと帰れ」という意味ですね。
なんだか京都で客に出されるお茶漬けと似た感じがします(京都でお茶漬けが出されると「そろそろ帰って」の意味があるらしい)。
しかし、ここは「警察の犬っころ」と言われた時にコメントを挟んだことにぜひ注目したい。
ホームズは普段から警察のことを馬鹿にしているから、まるで自分が警察の一員であるかのように扱われたのにムカッときたのではないでしょうか。
“Fancy his having the insolence to confound me with the official detective force!”
――「無礼にも、警察と僕を混同するとはな!」
と後から言っていますしね。
「警察の犬っころ」とロイロットが言わなければ、まだもう少しぐらいは大人しく罵倒を聞いていたかもしれません。なんだかだんだんホームズの沸点が分かってきました。
君がいると助かる
“Your presence might be invaluable.”
――「君がいたらきっと凄く助かる」
屋敷に忍び込む前、ホームズが危険が予想される冒険にワトスンを誘うシーン。
しかしワトスンがした事というのがあまり分からないので、ホームズが1人で屋敷に行っても結果は変わらなかったように思えます。
にも関わらず、ホームズは屋敷に行く前にこうワトスンを評しました。
これは一人で寝ずの番をするより二人の方が良い緊張感を保てるからではないでしょうか。
暗闇の中に何時間もいると精神が弱ってしまうだろうから、信頼できる人と一緒にいるだけでも励みになるという意味で言ったのかもしれませんね。
ホームズは沢山の特技を持っていて、何でも一人でできるような印象があります。
しかしこうしてワトスンのことを頼っているところを見てみると、ホームズも人間なのだと親しみが湧きます。
実はホームズは騙されていた?
怪奇で面白くはあるものの、その一方でちょっと突飛な話になってしまうのは仕方の無いことかもしれません。
ベルの紐繋がってないことに気づけよ!
とヘレンにつくづく言いたいです。
継父も気づかれる可能性は考えなかったのでしょうか?
気づいてもまさか理由までは分からないだろうからよかったのだろうか。
実はヘレナは継父の奸計に気がついていたので逆にホームズを使って継父を陥れようとしただとか、姉の死因は病気だっただとかっていう説をどこかで見かけたことがあります。
もしそうだとしたらホームズはとんだピエロという事になりますね。しかしそうだったとしても、ホームズはそのことまで考えているはずだと思いたいものです。
お泊まりに持っていくもの
“An Eley’s No. 2 is an excellent argument with gentlemen who can twist steel pokers into knots. That and a tooth-brush are, I think, all that we need.”
――「エリー・No2(ワトスンの銃)は火かき棒を捻り潰してしまうようなお方にはいいお喋り道具だ。そいつと歯ブラシ、まあ必要なのはこれで全部だろう」
屋敷に向かう前にやっておくことをホームズが確認するシーン。
要は銃と歯ブラシを持っていこう、と言っているわけですが、何だかちょっと小骨が喉に引っかかったようなビミョーな違和感が……。
この後出かけたホームズたちはまず屋敷を見に行き、それから宿をとって屋敷を見張り始めます。そしてヘレンの合図が出たら、屋敷に潜入する手筈なのでした。
合図を待つ間にホームズはワトスンに推理を披露し、それが一通り言い終わると、
“…… . But we shall have horrors enough before the night is over; for goodness’ sake let us have a quiet pipe and turn our minds for a few hours to something more cheerful.”
――「……。だが恐ろしい話は夜が明けるまでに充分味わえるよ。ゆったり煙草でもやろう。そして今のちょっとした時間はもっと元気のつくことを考えようじゃないか」
この「元気のつくこと(to something more cheerful)」は特に作品中では言及されていませんが、恐らく食事を摂ったのだろうと私は考えています。
で、ここで屋敷を見張りながら食事を終えると、さっき言った「歯ブラシ」の出番になる訳ですね。
でも気づきましたか?
ホームズは“That and a tooth-brush are all that we need.”と言ったのです。
“a tooth-brush”です。つまり持っていく歯ブラシは一本だけです。
まさかの共用歯ブラシ!?
と邪推してしまいました。
とってもどうでもいいそれだけの話なのですが、ビミョーに気になるポイントでもある(ヴィクトリア朝の歯磨き事情ってどんなものだったのだろう?)。
でもホームズは「必要な物はこれで全部だろう」と言ったものの、実はステッキを持って行っていたので、単純に“a tooth-brush”はお泊まりを表す暗喩の表現だったのかもしれません。
とはいえステッキは当時の人にとっては衣服と同じように身につけるものだったとか聞かないでもないし、そういうものをわざわざ準備するものの一つとして挙げる必要がなかったとも考えられるかもしれません。
そうなるとステッキを持って行っていることを根拠に「歯ブラシ共用説」を捨てるのはまだ早いだろうか?
これを読んでいらしてる英小説に詳しい人、または当時の英国文化に詳しい人、どうか教えてください。
次回は親指を切断された男の奇妙な体験。『技師の親指』です。